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長浦写真:2つのホームがあった長浦駅

picture231205001 しゃしん

長浦駅は現在の島型ホームに上下2線を接する型となる前は2ホームの時代がありました。
この写真は姉崎方面にカメラを向けたものです。下り線側に蒸気機関車C57(愛称:貴婦人)、上り線側にディーゼル車が写っています。
撮影時期は昭和30年代の終わりから昭和43年の間ではないかと思われます。

ウィキペディア「内房線」によると

1968年(昭和43年)
5月26日:五井駅 – 長浦駅間が複線化。
7月13日:房総東線千葉駅 – 蘇我駅 – 木更津駅間が電化。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』――「内房線」/原典:『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』通巻31号 内房線・外房線・久留里線 15頁

とあります。
ホームに面した線路のいずれかが上下入れ替えのための待機線である可能性があるため「複線化」の前であるか後であるかは不明です。しかしいずれの車両も電車ではなく、架線も見えないことから「電化」前であることは確実です。
さらにここからは憶測ですが、写真左に見えるコンクリート電柱のようなものから「電化」を間近に控えた時期であるようにも思えます。

一方でこの写真は謎を秘めています。
列車の手前に見える陸側ホームと海側ホームの連絡通路は陸側がレンガのようなもので固く塞がれています。連絡通路は姉崎方面側にもありましたが、この写真からは車両で塞がれているように思えます。では海側ホームのディーゼル車に乗車するにはどうしていたのか? 

ちなみに小学3年生の秋頃(1968〈昭和43〉年10月頃)長浦駅を海側から写生に行った記憶があります。その際、現在の連絡通路に当たる高さまで足場が組まれ大規模な工事が行われていました。「複線化」を受け、ホームが現在の型となり、連絡通路が作られたのではないかと思いますが定かではありません。
ただ1975(昭和50)年4月から高校通学に利用した際は、すでに現在の型でした。年月が近いことから十分その可能性はあるように思えます。

古い時代の長浦駅をご存知の方はぜひこちらまで情報をお寄せください。

    

写真番号:231205001  所蔵者:石井更幸さん(袖ケ浦市内)

石井さんは郷土の古い資料を収集され文化庁・県立美術館が主催する展覧会などに企画協力・資料提供されています。今回特別にご許可いただき掲載が実現しました。活動の詳細はYouTubeチャンネル「白くまチャンネル♪」まで[無断転載・転用禁止]

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