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昔、久保田浜宿の海岸には干潟が広がっていました。
60年以上前のことですが、
9月半ばのある日、叔父は私の父と連れ立ち車エビをつかまえに行ったそうです。
台風がこちらに向かい大雨の予報だったことが何か関係したのか不明ですが、
とにかくそんなひと騒動起きそうな天候の日、
干潟の潮だまりにはお目当ての車エビがうじゃうじゃいました。
玉網(タモ)ですくうと瞬く間に8リットル(高さ20cm×外径29cm)の鉄のバケツ2杯半に。
大喜びで家に持ち帰ると、エビの下ごしらえに入る暇もなく
当時の家長(私の祖父)にオダ掛けした稲穂が倒れるといけないのでただちに仕舞うよう命じられました。
その田の場所というのが里山の奥の谷津で、降り出した雨の中カッパを着込んで出かけたそうです。無事作業を終えたのはよかったのですが、今度は農道が土砂崩れでふさがれ、田んぼの中を迂回し這う這うの体で帰り着きました。
食物を自然から頂くというのは思わぬ恵もありますが、たいへんな仕事を伴うことでもあったのですね。
また祖母は潮が引いた干潟にときどきモズク(どうやら正確にはアカモクのようです)を採りに出かけました。
代宿から笠上に至る浜にたくさんあったそうです。
前述の兄弟の上の姉の話によると、6月の空襲の鐘が鳴らされる中、父母(私の祖父母)にアカモク採集に誘われたそうです。牛車(うしぐるま)を引いて行くのだそうですから本格的です。しかし姉は空襲が怖くて初めて「お腹が痛いので行けない」と断ったそうです。モズク(アカモク)は食料のほか畑の肥料にもしたようです
潮が引いたアカモクの下にはイシガニがたくさんいて、姉(私の伯母)はよくひとりで採りに行かされました。誰もいない干潟で寂しくもありましたが、父に褒められるのと、たくさんつかまえられるのがうれしくてそれほど苦にはなりませんでした。
昔は夕飯の味噌汁の具を、ちょっと干潟に採りに行くというのが日常茶飯事でした。
長浦は本当に豊かな自然に恵まれた土地でした。
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