ながうらら | むかし長浦で

昭和2年以前の観光案内「上総内湾避暑地巡り」

れきし

観光地としての長浦

昔、長浦は観光地だった? 今では想像もつかない、わくわくするような史実をご紹介します。

今回も袖ケ浦市在住の石井更幸さんのご厚意によりお手持ちの貴重な資料をご提供くださいました。YouTubeですでに公開されているので、こちらもぜひご覧ください。

さてその資料というのはこちら。「上総内湾避暑地巡り」。

上総地方の内房の観光案内です。蛇腹式で持ち歩きに便利。広げると詳しい内容が読み取れます。恐らく国鉄駅構内や各観光案内所などに置かれた持ち帰り自由なパンフレットだったのでしょう。

タイトル下に「青堀鑣泉」とあります。これは制作者あるいは監修者のお名前と察せられます。ネットで検索してみましたがご本人の情報を探し当てることはできませんでした。

では、さっそく開いてみましょう。

全図の左端に「長浦」の文字が見えますね。右は「浜金谷」が確認できます。「上総内湾」をこの範囲と定め、そこに点在する「避暑地」を案内するものであることがわかります。

国鉄の路線図をよくみると長浦駅はまだありません。最寄り駅は「楢葉」。これは現在の「袖ケ浦駅」のことです。

昭和2年以前のものである証拠

ではこの案内が作成されたのはいつのことでしょう。残念ながらどこにも発行年は記されていません。でも地図の右上の千葉県全図に大きなヒントがありました。鴨川駅と勝浦駅の間に注目。まだ線路が通っていません。

ウィキペディアを調べると年表の「1929年(昭和4年)4月15日」の項に「上総興津(かずさおきつ)駅 – 安房鴨川駅間が延伸開業し全通。北条線が房総線に編入」とあります。上総興津駅というのは勝浦より安房鴨川寄りにある駅です。こちらの歴史を調べると同じくウィキペディアに「1927年(昭和2年)4月1日:開業」とありました。

すなわちこの「上総内湾避暑地巡り」は1924(昭和2年)より前に作成された観光案内であることがわかります。

袖ケ浦駅から人力車で長浦へ

案内の裏側には解説が記されており「長浦」がどんな避暑地であったのか当時の様子を伺い知ることができます。

左に大きく「千葉縣君津郡役所」の文字があります。また小さく「詳細ハ各町村役場ニ照㑹願マス」とも。他に確認できる表記がないため「千葉縣君津郡役所」が発行元なのでしょう。たぶん実際は県の観光課が企画・出版したものと思われます。

表を詳しく見てみます。「長浦」の項で「驛(駅)よりの距離」は楢葉驛(現袖ケ浦駅)からのものでしょう。「十五町」は約1.635kmです。「遊覧地」としては「笠上観音」と「愛宕山」とあります。「笠上観音」は本ブログで詳しくご紹介しています。併せてご覧になってみてください。また「愛宕山」は蔵波八幡神社とその上にある愛宕神社、そしてその周辺の展望所を指しています。

遠浅の海でアサリ採り、簀立て

詳しい解説文が上記の表の横に記されています。

解説のリード文のすぐ後、避暑地紹介の最初の地として「長浦」が記されています。むずかしい漢字が記されているので読みやすくなるよう開いてみました。

身の置き所もない山伏(やまぶし)の夏をどうして暮しませう。たとへ一週間でも十日でも土曜から日曜にかけての一夜泊りでも海が奇麗で面白い遊びの澤山(たくさん)ある然(しか)も居心地のよい、お金の澤山かからぬ木更津もよりの海と山をお勧めします。楢葉驛(現・袖ケ浦駅)から濱金谷迄の沿線は東京から凡(およ)そ二時間位で着いて、到る處(ところ)に蜊(あさり)や蛤(はまぐり)が獲られて簀立(すだて)の催しなど何とも言えぬ面白い遊びがあります。又靈場(れいじょう)史蹟(しせき)もあり明媚な風光秀絶掬(きく)すべき眺めもあります。左に其の重なる箇所を紹介します。

▲長浦の濱 君津の海の振出でこの濱は水清く遠浅で蜊が澤山に獲られるし簀立漁業は六ヶ所もありて遊覧客の爲(ため)に便利を計ります。海に面して笠上観音あり風光明媚である。停車場は楢葉驛からでも姉崎驛からでも人力車五十銭です。旅館はありませんが民家が一畳壱円以内で借りられ土地高荘で別荘に適します。    

出典:上総内湾避暑地巡り

長浦は第一にアサリと簀立ての名所として紹介されています。干拓される前、工場地帯となる前は本当に魚介類が豊富採れるきれいな海だったのですね。

ちなみに蔵波川の上流では昔進藤家が酒造所を営んでいたそうです。それほど水が清らかでした。解説文中の「この濱は水清く」も長浦の史実が証明しています。

人力車50銭は現在の1500円

解説文中、長浦の停車場(おそらく房総往還[現県道287号線・旧国道16号線]の蔵波辺り)として「楢葉驛からでも姉崎驛からでも人力車五十銭」とあります。これは現在の貨幣価値するとどれほどなのでしょう。

「コインの散歩道―明治・大正・昭和・平成・令和 値段史―」によると「1930(昭和5)年当時国鉄の最低料金は5銭」だったそうです。2024年1月現在、JR山手線の初乗り運賃が146円(ICカード)ですから、1銭は現在のおよそ30円の価値があったと思われます。

つまり人力車50銭は1500円ほどという計算になります。現在のタクシー運賃と比べるとどうでしょう。若干安く感じられるも、驚くような値段ではなかったようです。

また解説文中「民家が一畳壱円以内」とあるのはどうでしょう。現在の価値にするとおよそ3000円ほどです。仮に八畳の部屋で24000円となる。これが1泊の料金であるのか、朝食付きであったのかは不明ですが、若干お高いものの旅館がなかったこと、それが最高値だったことを思うと妥当な料金なのかもしれませんね。

都市住民の夏のレジャースポット

またこの案内には国鉄の時刻表と運賃が記載されています。

「下り」の時刻表を見てみましょう。「午前客」の「仝(同)」で「両国駅」5時30分始発の蒸気機関の列車に乗ると「楢葉駅」に7時42分前に到着します。そこから人力車を転がしてもらいたぶん8時30分くらいに、ようやく蔵波辺りに到着します。当時食堂はあったのでしょうか。楢葉駅前にあったとしたらそこで朝食を済ませ、あるいは手製のおにぎり弁当持参で蔵波の浜近くで食べたのかもしれませんね。その後、潮の干満時刻によりますが、潮干狩りをして日帰りで避暑地旅行ができたでしょう。

ちなみに両国駅から楢葉駅までの国鉄の「三等賃金(運賃)」は上の時刻表にある通り1円3銭(「通行税ヲ算入セズ」)で現在の貨幣価値にすると前述の評価から3090円。ここに人力車が前述通り1500円かかりますから、交通費は片道少なくとも合計4590円。仮に一家5人(夫婦と子3人[半額?])で避暑に訪れると交通費で1万6000円ほどかかりました。2024年1月現在、両国から長浦まで同条件にすると4095円。およそ4倍の交通費がかかっていました。

「上総内湾避暑地」としての長浦。遠浅の海で浜遊びが存分にたのしめる、なかなか素敵なスポットであったことを考えると、長浦観光はそれなりの費用はかかるものの都内のサラリーマン家庭にはとっておきの夏のレジャーだったのではないでしょうか。

 

石井更幸さんは郷土の古い資料を収集され文化庁・県立美術館が主催する展覧会などに企画協力・資料提供されています。今回特別に資料をご提供いただき掲載が実現しました。活動の詳細はYouTubeチャンネル「白くまチャンネル♪」まで

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