ながうらら | むかし長浦で

長浦が記された古い地図:昭和

長浦が記された古い地図ヘッダー れきし

国鉄時代に長浦駅が作られたのは1947(昭和22)年1月のことです。それまで姉崎駅と楢葉(現:袖ケ浦)駅の間に駅は存在しませんでした。

ただ駅が誕生したことで長浦は俄然、観光地として注目を集めるようになったようです。

上の地図は1947(昭和22)年5月発行[タイトル・発行者未確認]のものです。残念ながら現物自体、蔵波が切れており長浦駅が確認できませんが、発行のタイミングからすでに記されているものと見込まれます。

このページに掲載の地図はすべて袖ケ浦市在住の石井更幸さんよりご提供いただいたものです。石井さんによると当時はこうした「フランス式の彩色地図が少なくなかった」そうです。ピンク色が集落で水色が水田地帯ではないかと思われます。

濱宿(浜宿)と久保田をダイレクトにつなぐ道が見えますが、こちらは平成通りではありません。あの場所にそもそも道は存在していませんでした。地図にあるのは現在「かまくら街道」と呼ばれる古道です。

 

上は「千葉県観光物産地図」。千葉県観光物産普及所(千葉県観光協会後援)より1952(昭和27)年6月第二版として発行されたものです。「長浦」の辺りには「簀立(すだて)」のような文字が見えます。また左上には「袖ケ浦 潮干狩」の文字も。

 

こちらの地図は「千葉県の観光と産業」と題され朝日新聞千葉県朝日会より発行(年月未確認)されたもの。「暁雲 峰 庫治 編集」とあります。こちらにはしっかり「簀立(すだて) 長浦」とありますね。「三育学園」も記されています。

おもしろいのは「長浦」の文字の横に重なるように「展望台」と記されていること。たぶん蔵波八幡神社の上にある見晴台のことと思われます。長浦から東京湾を西に臨む夕日はたいへん美しいと評判でした。浜宿辺りの旧国道16号では「夕焼け渋滞」が起こったと年寄りから聞いた覚えがあります。この「展望台」からの眺めもさぞかし見事だったことでしょう。

ちょっと苦しい位置ですが「笠上観音」もしっかり描かれていますね。 

 

石井更幸さんは郷土の古い資料を収集され文化庁・県立美術館が主催する展覧会などに企画協力・資料提供されています。今回特別に地図資料をご提供いただき掲載が実現しました。活動の詳細はYouTubeチャンネル「白くまチャンネル♪」まで

コメント

タイトルとURLをコピーしました