満で91になる伯母の祝言。もう65年近くも前の話です。
祝いの宴席が嫁出の家で開かれ、これが夜通しの1日半。
そして嫁ぎ先の家で、続いて夜通しの1日半。
都合3日間の披露宴であったそうです。
嫁出の家では花婿と花嫁の前にそれぞれ鯛が2尾(計4尾)。叔父によると直径50cmの大皿から頭と尾が出ていたといいますから相当の大きさです。
昨年まで古い家が残っており、15畳の座敷と奥の8畳を仕切る引き戸が取り払われ、膳が2列向かい合わせに並べられました。親類など来客の数は30人は超えていたでしょう。
その後の私の知る節句の宴席から想像するに、天ぷらや巻きずしなどの料理の準備には地域の同じ組(班)のご婦人たちの手をお借りしたに違いありません。それぞれにお得意があり、ある方は天ぷらを素手ですくい、ある方は見事な花模様の巻きずしを拵えました。
手土産にはめでたい品々を砂糖で型取り彩色した金花糖(きんかとう)を添えるのが風習でした。大げさな叔父のことですから話半分で受け取ってほしいのですが、手振りから察するに幅60cm、奥行き30cmの大きさの箱詰めだったようです。わが家は奈良輪豊月堂さんにお願いしていました。
嫁ぎ先の家では、花嫁が到着するといまかいまかと待ち受けていた近所の方々による嫁入り道具の見分が始まりました。衣装箪笥などの大物のほか引き出しに入っている着物などもわざわざ家の者が開けて見せたそうです。見栄の張りどころとはいえ、なかなかたいへんな時代でした。
それにしても都合3日間の披露宴に花婿と花嫁はどう対応していたのでしょう。花婿などは酒を勧められるまま受け、早々に酔いつぶれていたに違いありません。花嫁も帯で固く締められた婚礼衣装をどこかで洋装に変えなくてはとても座っていられなかったはずです。
延々と続く笑顔、笑顔、笑顔のおめでたいが故に破天荒な宴席が目に浮かびます。
寄稿者:凪(久保田)
コメント